『欧米人が全員、スーツを着ているわけではない』
それはまったくその通りで、スーツ先進国のEU諸国でもスーツを着ている人は、
EUの総人口と較べれば小数です。
しかし、スーツを着る必要がある人が、スーツを着なくても良い人を指して、
彼らは着ていない(から自分たちも着なくてもよい)というのは、おかしな話です。
車の運転が下手な人が指摘されて、運転免許を持っていない人を指して、
あいつは運転ができないじゃないか、というのと同じレベルです。
しかし、欧米人が日本人と違うのは、普段はスーツを着ない人でも、着る必要があるときは、
きちんとルールとマナーを守れるということです。
外国、特に欧州には階級制度が残っています。
立憲君主制の国には王族・貴族がいます。
共和制の国でも形骸化しているとはいえ貴族は存在し、政財界に大きな力を持っていますし、
某超大国ですら、建国メンバーの子孫や国の発展に貢献した大財閥の一族などは上流階級と目され、政財界に大きな力を持っています。
昔の貴族のような特権階級ではないので、税金で食べている訳でありません。
自らの地位と資産は、自らの裁量で維持・管理しなければならず、才能のない者は破産の憂き目にも合うのです。
貴族以外の階級については、役人・職工・芸(能)・商売・農業など、主に職業によって階級が存在します。そこに差別的な意味はありません。
それぞれの分野でマイスターと呼ばれるほどになれば、階級を超えて尊敬される存在となります。
職人の子は職人、というように代々受け継がれていくことが殆どで、多くの人が自分の職業と階級に誇りがあり、満足しているので技と職を受け継ぐことに疑問を抱かない人が多いと云われています。
生まれついた階級から脱するには、よほどの運に恵まれるか、才能と努力が必要と云われています。
努力の末に学校を優秀な成績で卒業し、一流と呼ばれる企業に就職して、出世すればセレブリティの仲間入りをすることは可能だと云われています。
自身の出自に不満がある人や、他の才能に恵まれた人、野望がある人は、階級を超える努力をするのは、どこの国でも共通です。
話を戻すと、欧米で階級の垣根を越える、特に上流を目指すには絶対的にスーツが必要となります。スーツはホワイトカラーの身分証明のようなものだからです。
スーツを着ない人々の上に位置するとか、職業の貴賎云々というのではありません。
彼らは仕事(生活)をする上で、職業や身分の証明としてスーツを着る必要がないから着ていないだけです。
とはいえ、彼らもお客様やパトロンと会う時は、スーツやジャケットなど、自分に見合った服装をルールやマナーに沿って着用するし、バカンスの時には必要に応じてスーツを着るのです。
常にスーツ着用を求められるホワイトカラーと呼ばれる知能労働者は、ビジネススーツでその身分や職業を表現しているのです。
このように言うと、やはりスーツはビジネスマンの作業着じゃないか、といわれそうですが、彼らはスーツの歴史を知っていて、スーツを着ることに誇りをもっており、スーツを着る事で周囲に対する配慮や敬意を表現することを知っているのです。
決して作業着として着ているわけではないのです。